地下鉄道にのって - エムマッティーナ雑録

劇評家カトリヒデトシのブログです

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XP標準の壁紙「草原.bmp」 実写だそう!

XP標準の壁紙「草原.bmp」。
英語の草原「bliss」は「幸福」「至福」の意

うーむ実写だったかぁ。

キレイすぎるのをみるとCGのような気がしてしまうのは
「病」かもしれない

カリフォルニア州ナパ郡のソノマバレーの東にある丘だそう。
撮影は『ナショナル・ジオグラフィック』で25年以上のキャリアがある、カメラマンのチャールズ・オレア氏。

HPをのぞくとどれもこれもといううつくしさ
こっちを壁紙にしよっと

http://www.wineviews.com/index.html

ソース
http://news24.2ch.net/test/read.cgi/femnewsplus/1202543192/l50x



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  1. 2008/02/22(金) 07:13:54|
  2. 社会批評
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取説

取扱説明書メーカーも笑えた。


ひで@たいたまさんをご使用する際には以下のことに気を付けて下さい。

* ごくまれに、数秒間ほど反応がなくなることがありますが、仕様です。
* 臭くなる前のお手入れが大切です。
* お手入れの際にはアルコールをご使用下さい。
* 風呂場では使用しないで下さい。


また、以下の場所でご使用にならないよう気を付けて下さい。

* 色々なところ

故障かな?と思われる場合は以下のことを試してみて下さい。

* ネコを与えてみて下さい。


それでも正常に動作しない場合は。

* 煙が発生している場合は逃げて下さい。
* 煙が発生していない場合も逃げて下さい。



結構気が利いてるのであった。


  1. 2008/02/19(火) 13:39:15|
  2. 社会批評
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しかしなぁ フェルメール展

このところ

噴飯ものの美術展が多い

国立でやったダ・ヴィンチ展も

「受胎告知」

1点のみで、あとは研究発表会(笑)

私はダ・ヴィンチのノートとかの科学的解析などは大変興味深いものだったが

それにしても 「絵」は1点のみ…

 

今回の「フェルメール」も全くおなじ

確かにポスターをよく見ると 

フェルメール 「牛乳を注ぐ女」とオランダ風俗画展

なので、看板にはいつわりはないのだが…

しかし フェルメールが1枚だけであとは決して覚えられないメジャーじゃないオランダの画家たちの絵を持ってこられてもなぁ(ため息)

バブル期に日本のマネーが、世界の美術界をかき回し

絵の値段をつり上げただけでなく

結局今になって「絵」そのものが借りれなくなっているというのは

なんともほんとにやりきれないほど皮肉である

で 相変わらず 入れ物だけが立派なのである。

とほほ 

 




  1. 2007/11/08(木) 00:00:00|
  2. 社会批評
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ギザカワユス

どうも 若者文化に甘い
80年代に青春を送ったせいか
サブ・カルチャー(死語)の洗礼に弱いせいかとも思う

ほめられたことではないのは十分承知してるが
若者ことばは積極的に使うようにしている
(軽薄にみえるのは、望むところでもある)

で  ショコタン語である
「ギザカワユス」
とか
「メガントスゴス」
などと
つぶやいて
家族にいやがられているのであった

やっぱ
ことばは使ってみないとね
そんなとこからしか
ことばが時代とともに変わっていくのを実感できない
ような気がしたりもするわけで…


  1. 2007/10/29(月) 00:00:00|
  2. 社会批評
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シネコンの隆盛に映画の将来を憂う

映画の将来を「憂う」などと大上段に構えてしまうと。とある東大の総長にまで上り詰められた方を思い起こしてしまう。

90年代に「もうすぐ映画は100歳になる。100年続いた文化は滅びに向かう。映画はもうすぐ死ぬ運命にある」とかたっておられ、われわれ映画青年を絶望させていらっしゃってたのに、いつのまにか、東大に映画研究もできる、「表象文化科」などという変わった研究科をつくったかと思っているうちに、フランス方面に強いコネをおもちなのを最大限にくしされ、『北野武』といういまとなってはちょっと赤面の素人監督を「天才」というふれこみで、まず欧州で売りにだし、本邦に逆輸入させるという、一番、わが国民がやられてしまう手をつかってもりあげたかと思うと、教養学部から総長になるという歴史的快挙をなしとげ、在任中の周年式典では、さる高貴なご一家の長を東大に招き、御自身で露払いのご案内されていたことを、私は決して忘れないぞ!! という、あの罪深い元映画評論家のお方のことである。

そういったわけで、「映画は死んだ」というのは、ファンの間では長く禁句であったのだが、やはり映画も資本主義の市場で勝負しなくてはならない以上、ゴンドラチョフの波の上でサーフィンをしているわけで、はやりもするだろうし、沈みもするだろう。

いま、伝説のビッグ・ウェンズデーがきてるのはたしかなんだが(世代によっては稲村ジェーンか?)、かつてのデパートの屋上の遊園地のような(これはいくらなんでも、たとえがふるすぎか?)、あるいは階上のレストラン街のように、客寄せとしての目玉で、とにかく足を運ばせることができさえすれば、回遊効果で他の店舗も潤うという、流通の論理に完全に鼻づらをひきまわされている。
 まだ、観客動員がはかれればいいじゃんと、脳天気な御仁がいるだろうか。
いまや、シネコンの映画は動員することが至上命題なのである。
客がはいらなかったけどいい映画だったよね。とか、芸術的すぎて興業的にはきついんじゃないの。なんてのがシネコンにかかることは100%ありえないのである。
とにかく話題先行させて(最近、公開日前後の主演者たちのメディアへの露出の多さはひどいよね)、メディアに徹底的にとりあげさせ、記事にしてもらい(最近のぴあは骨がなくなって、批評はほとんどなくなり、みな、タイアップか。提灯記事ばかりである。なげかわしい)、みなに作品をすりこませ、公開と同時に動員をのばしていくのである。失敗すると上映期間が短縮されるのみならず、上映回数も適面に減らされてしまう。
当たり前だがシビアなもんだ。
ところがそこで見損なうと、どんなに観たくても、2番館3番館がないいじょう、ビデオ・DVD化されるのをまつしかない。これがまたいつになるやら…。レンタルで探すのにも骨が折れ…。
ウィニーが絶対なくならないのも、流通がこれだけ大手の理論で運用されてしまえば、むべなるかなという部分も多い。
で、とりあえずはやりだから、「押さえておく」というばかりになって、映画の質が云々されることは、なくなってしまった。
まあ、最近の「太陽」や「時をかける少女」のように、徐々に公開が拡大されることもないわけではないので、「いい映画」というものが陽の目をみないともいいきれないのだが…。

しかし、シネコンに乗るか乗れないかは、運命をわけることは間違いない。前に書いた配給の縛りがなくなったことが、逆に、「話題性」という悪魔に左右されている。
そうなると、どうなるのか?

結局、金をかけられるものが勝つ、という冷厳たる事実しかのこらなくなる。
ゲーム業界がすでにその兆候をかんじさせるのだが、資本力のないものは、市場にでる、チャンスも与えられないというシビアがのしかかってくる。

さらに、今のシネコンは、完全入れ替え制である。
気に入ったから、気になったから、続けてもう1回観ようってことが不可能になってしまった。

ここで一番最初に戻る。1本のシャシンに惚れこんで徹底的に観る。ということが、映画館では、できにくく、いや、不可能になってしまったのだ。
DVD買えばいいじゃん。何度でも好きなときにみれるし、という人は、残念ながら、私にいわせれば、映画に淫した経験をもたない、不幸な人なのである。
スクリーンで観ないことには、気づかないことはいくらでもある。小津の映画の視点はどこにあるのか? とか、これははめ込みだから、スタントつかえなかったんだなとか。
モニターのサイズではわからないところが、気になったり、
見つけ出したくて、そういう映画の真の魅力に淫している人が育たないではないかという点が、悲しく悔しいのだ。

映画をディスクでコレクションしても、(したくなる気持ちは痛いほどわかるが)、映画の画の細部にこだわり、ひいては映画史に思いを馳せる人がつづいてほしいのだ。
確かに、映画は娯楽である、しかし同時に人の人生を狂わせもする「芸術」なのである。

音楽ファンが最終的に生にこだわるように、映画もスクリーンにこだわらなくなったら、ほんとうに「死」をむかえるのだろう。
それを怖れてやまないのだ。


  1. 2006/10/02(月) 00:00:00|
  2. 社会批評
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シネコンは正しいのか?

名画座が崩壊してしまった。
銀座並木座、飯田橋ギンレイ、佳作座、池袋文芸、地下。
かつての映画青年たちが、涙とともにマクドナルドをほおばりつつ、スクリーン食い入るようにみつめ、精力を傾けたスクリーンは、ビルのワンフロアーになってかろうじて残っている文芸以外、なくなってしまった。
渋谷の前線座や東急名画座までしっている世代としては悲しいことかぎりなし、ニコタマの東急や鶴見文化まで足をのばしていたのにぃ。
トイレのにおいが立ちこめてたり、思い出話に必ずでてくる、扉を入るとそこには柱が…。なんて映画館ばかりだった。
最近は単館ロードショーが増えて、ちょとおしゃれな、横文字名前ですぐには憶えられない系の映画館が増えた。どれもむかしの岩波映画みたいに、自由定員制とやらで、通路に新聞紙敷いて座り込むなんてもってのほかである。

「ロッキー・ホラーショウ」のオールで、今となってはコスプレでかたづけられてしまう異装に狭いトイレで着替えて、上映開始とともに踊り狂ったり(念のため、ディスコなんてない時代のはなしですからね)、東映や日活の無国籍アクションなんかだと、オールで寝込んでいた客が、健さんがダンビラもってのりこんだり、旭がエースのジョーと一騎撃ちするシーンになるとやおらむくむくと起きだして、「待ってました! 健さん!!」とか「アキラたっぷり!!」とか、まるで全共闘時代の雰囲気が髣髴とされたもんでした。
(ダメだ。今回も老いのくりごとになっている…)

ま、昼も夜もまだ映画館の持っていた「異界」性がビンビンであったということでもしっててほしいのよ。

それもさ、単館といっても、シネスク東急やシャンテみたいなクオリティならいざしらず、なんじゃここは試写室かというようなのまであって、椅子は悪いは、スクリーンは小さいは
、妙な内装で落ち着かないは、である。
(あ、これは説明いるか。名画座にはひどい映写環境あったよ。スクリーンの横がトイレってのは先にのべたが、新宿には階下のジャズ喫茶の生演奏がビンビンに響いてくるので、朝一しか落ち着いてみれないなんてとこもあった。なんせすべての映画が「死刑台のエレベーター」ばりになっちゃ
うんですから…)

おしゃれじゃなくても、いい映画が安くみられればいい当方としては、映写環境とは関係ないんじゃないってとこに金かけてるのがきにいらない。なにさ売店でうってるもの以外は持ち込み禁止って。

劣悪な環境でも、「こんな映画を、この組み合わせで上映する!! こんなの俺がいかなかったら誰がみてやるのさ!! 映画に失礼だ!!」と力こぶつくって勇んで行ってしまうような。ラインアップの妙が、興行主とファンのあいだでたたかわされていたのであった。

そこで、シネコンの話である。
第何次目かの日本映画の隆盛はまことに喜ばしい。異業種からの才能の流入が新風を巻き起こしているのは、ご同慶の至りというにつきる。金が動く業界になったってことだ。

しかし、それはほとんどシネコンのおかげである。ショッピングセンターの階上に付随したシネコンが、かつてのデパートの食堂のように休日の人集めに貢献し、回遊効果で階下の売り場も成績をあげる。うまく回っている。そのおかげで話題を先行させておけばまず外れはないし、それなりの集客がみこめる。
ビデオやdvdがこれだけ普及して、すぐにレンタルで見ることも可能なのに、みな律義に封切りで話題作はおさえにくる。

しかししかしだ。
それって映画にとって幸せなことなのだろうか?

ちょっと 中断


  1. 2006/09/25(月) 00:00:00|
  2. 社会批評
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コンビニ・トイレ

昔は、コンビニってトイレを貸さなかったのを覚えておられるだろうか?
そもそも、構造が客にトイレを貸すという発想がなくて、バックヤードに出入りする扉しかなかった。
どうしても、緊急を要して(!)、トイレを懇願すると、しぶしぶバックヤードを通って、従業員用のトイレを使わせてくれたものだった。

10年くらい前から、その姿勢が変わって、どのチェーンも「どうぞお使いください」って感じになったと思う。
最初は、「従業員にお声をおかけください」って風だったけど。
今では一部店舗を除き、「自由にお使いください」ってことになっている。

昭和30年代までは、道を歩いている人が、「ちょっと手水を」といって、普通の家にやってくるってことがあったと、古老に聞いたが、現在そんなことは考えられない話。
そうすると、「あなたのコンビニ」とか「開いててよかった」というコンビニがまさに、コンビニエンスとしてそういうサービスをするのも当然かと思う。

で、公衆トイレとしてのコンビニ・トイレであるが…
ちょっと前までは、不特定多数の使うトイレは、ハリガミのメッカだった。
「もう一歩前へ!」とか
「使用後は必ず水を流してください」とか
「備え付けの紙以外のものは流さないでください」とか
それこそ、ハリガミ的な禁止事項がけっこう高圧的に貼られていたものだった。

ところが、最近ちょっとニュアンスが変わってきたよ。


それを初めて見たときは、軽い感動を覚えた、いわく

「いつもきれいに使っていただいてありがとうございます」

ちょっと気がきいてると思った。
これは瞬く間に普及した。今は、東京でも、北海道でも、チェーンにかかわらず、よくこの文句が掲げられている。

逆説的なプレッシャーっていうのでしょうか?
あなたの良心に期待してます。
あるいは、
あなたの良心に基づく行動を信じてます
というのか。
けっこう、無法を避ける抑止力として機能するのではないかという言い回し。
決して高圧的にならず、しかし、行動をコントロールするという、高度なコミュニケーション手段が使われていると思うのだが、いかがか。

あと、普及してないものの、感心したのは、さるコンビニで、トレペの横に貼ってあった文句
「このトイレットペーパーは、当店で販売している再生紙で作られたものです。御使用感はいかがでしたか」

商売上手じゃん!!



  1. 2006/01/16(月) 11:36:22|
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コンビニ・トイレ

昔は、コンビニってトイレを貸さなかったのを覚えておられるだろうか?
そもそも、構造が客にトイレを貸すという発想がなくて、バックヤードに出入りする扉しかなかった。
どうしても、緊急を要して(!)、トイレを懇願すると、しぶしぶバックヤードを通って、従業員用のトイレを使わせてくれたものだった。

10年くらい前から、その姿勢が変わって、どのチェーンも「どうぞお使いください」って感じになったと思う。
最初は、「従業員にお声をおかけください」って風だったけど。
今では一部店舗を除き、「自由にお使いください」ってことになっている。

昭和30年代までは、道を歩いている人が、「ちょっと手水を」といって、普通の家にやってくるってことがあったと、古老に聞いたが、現在そんなことは考えられない話。
そうすると、「あなたのコンビニ」とか「開いててよかった」というコンビニがまさに、コンビニエンスとしてそういうサービスをするのも当然かと思う。

で、公衆トイレとしてのコンビニ・トイレであるが…
ちょっと前までは、不特定多数の使うトイレは、ハリガミのメッカだった。
「もう一歩前へ!」とか
「使用後は必ず水を流してください」とか
「備え付けの紙以外のものは流さないでください」とか
それこそ、ハリガミ的な禁止事項がけっこう高圧的に貼られていたものだった。

ところが、最近ちょっとニュアンスが変わってきたよ。


それを初めて見たときは、軽い感動を覚えた、いわく

「いつもきれいに使っていただいてありがとうございます」

ちょっと気がきいてると思った。
これは瞬く間に普及した。今は、東京でも、北海道でも、チェーンにかかわらず、よくこの文句が掲げられている。

逆説的なプレッシャーっていうのでしょうか?
あなたの良心に期待してます。
あるいは、
あなたの良心に基づく行動を信じてます
というのか。
けっこう、無法を避ける抑止力として機能するのではないかという言い回し。
決して高圧的にならず、しかし、行動をコントロールするという、高度なコミュニケーション手段が使われていると思うのだが、いかがか。

あと、普及してないものの、感心したのは、さるコンビニで、トレペの横に貼ってあった文句
「このトイレットペーパーは、当店で販売している再生紙で作られたものです。御使用感はいかがでしたか」

商売上手じゃん!!



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コンビニ・トイレ

昔は、コンビニってトイレを貸さなかったのを覚えておられるだろうか?
そもそも、構造が客にトイレを貸すという発想がなくて、バックヤードに出入りする扉しかなかった。
どうしても、緊急を要して(!)、トイレを懇願すると、しぶしぶバックヤードを通って、従業員用のトイレを使わせてくれたものだった。

10年くらい前から、その姿勢が変わって、どのチェーンも「どうぞお使いください」って感じになったと思う。
最初は、「従業員にお声をおかけください」って風だったけど。
今では一部店舗を除き、「自由にお使いください」ってことになっている。

昭和30年代までは、道を歩いている人が、「ちょっと手水を」といって、普通の家にやってくるってことがあったと、古老に聞いたが、現在そんなことは考えられない話。
そうすると、「あなたのコンビニ」とか「開いててよかった」というコンビニがまさに、コンビニエンスとしてそういうサービスをするのも当然かと思う。

で、公衆トイレとしてのコンビニ・トイレであるが…
ちょっと前までは、不特定多数の使うトイレは、ハリガミのメッカだった。
「もう一歩前へ!」とか
「使用後は必ず水を流してください」とか
「備え付けの紙以外のものは流さないでください」とか
それこそ、ハリガミ的な禁止事項がけっこう高圧的に貼られていたものだった。

ところが、最近ちょっとニュアンスが変わってきたよ。


それを初めて見たときは、軽い感動を覚えた、いわく

「いつもきれいに使っていただいてありがとうございます」

ちょっと気がきいてると思った。
これは瞬く間に普及した。今は、東京でも、北海道でも、チェーンにかかわらず、よくこの文句が掲げられている。

逆説的なプレッシャーっていうのでしょうか?
あなたの良心に期待してます。
あるいは、
あなたの良心に基づく行動を信じてます
というのか。
けっこう、無法を避ける抑止力として機能するのではないかという言い回し。
決して高圧的にならず、しかし、行動をコントロールするという、高度なコミュニケーション手段が使われていると思うのだが、いかがか。

あと、普及してないものの、感心したのは、さるコンビニで、トレペの横に貼ってあった文句
「このトイレットペーパーは、当店で販売している再生紙で作られたものです。御使用感はいかがでしたか」

商売上手じゃん!!



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キオスクは燃えているか

別にきょうの話にアラン・ドロンはでません。あしからず。(しらないか「パリは……」なんて映画)

キオスクといえば、旧国鉄時代からの鉄道弘済会の稼ぎ頭。
国鉄職員の厚生団体が母体のはずだが、家族の再就職先としても優秀で業績をあげていたように思う。

その省スペース性は、そんなことばができるはるか以前に完成されていたわけで、わずか二坪ほどの店舗に品ぞろいは300種超。

その空間の高度利用は後のドンキとかに影響を与えている。その空間利用について、各国からの視察も絶えなかった。
コンビニの走りとしても優秀であった。そのTPOを研究つくした取りそろえ時代への即応(なんせ最近は老眼鏡まであるんですから、おにぎりはあるとことないとこがあるね)。

さらに販売員が優秀で、ほぼ即座に、ほんの数秒で金額を計算し、無駄のない動きで、売上金とおつりを交換していた。まさに職人芸だった。
新聞やたばこのものによる価格の違いや、特集号の雑誌の値段や、複雑な菓子などの小物ですら、一切調べることなく即座に暗算。
おつりを間違うことも皆無。

あれを見ると、私はウヨではないが、「日本人って優秀だよなぁ」とため息がでる。何よりも、記憶力と計算力は日本の教育の誇りであったといってよい。

そのすばらしかったキオスク(ってもともとロシア語だったよね)に最近、異変がおこっている。
私に言わせれば由々しき異変である。

なんと!
レジが導入されつつある!
のである、
それが、販売員が高齢化して省力化のために、とか、最近の販売員が計算能力が落ちて苦情が殺到したからとかではない。
それなら、まあ、しかたないな、という話である。
「日本人優秀説」も過去の幻影か…と黄昏れていればよい。
しかし、事実は
スイカで決済できる
ようにするためなのである!!

(スイカとは、JR東日本のICカード。お金をチャージしとくと改札をタッチ・オン・ゴーと通過できる。定期券でもあり、乗り越しの精算も一発というすぐれもの。関西圏ではイコカ。でもさ、その前のイオ・カード、オレンジ・カードって寿命が短かったよな。あの設備投資も運賃に上乗せされているんでしょ。なっとくいかない)

確かにいま、スイカは、普及拡大のために、クレジットカード化したり、お財布ケータイに乗っけたり、さらには長年の念願だった私鉄地下鉄のパスネットとの相互乗り入れも来年には実現し、便利なる一方である。ICカードとして買い物ができるというのを今力入れてる見たい。
でもさ、電車賃が高くて、その上買い物したりしたら、チャージするのがめんどくさくならないか? 上限5万円っても、あんなカードに5万円も入れとける人はそうざらにはいないと思うぞ。で、クレジットにすると並ばなくてもチャージできるよ、とかいうのを今年の売りにしていくようではある。

脱線した…

その買い物路線の一環としてキオスクでの決済が加わろうとしているのである。
しかしそれはおかしいぞ!!
たしかに、小銭のやりとりが無くなるというのは便利かもしれない。
でも、そのカードもケイタイが加わって、受け渡しがまちまちだし(ジョシコーセがストラップ、じゃらじゃらしたの渡したりするのを想像してね)、必ずしもスピードアップにはつながらない。
なんといっても、全員がスイカをだすほどには普及してるわけではないので、あの狭い店内にレジを置くことになったのが、著しい後退ではないかと、私は思っている。
今までになかったレジをうつ時間、トレイからおつりを出し入れする時間。
これはロスだと思うが…
まぁ、コンビニみたいにPOSが導入されることはないだろうが、ローテックだったからあったよさがうしなわれるのは確実だと思う。

あのレジを置くために、店頭から削られてしまったのは、いったいなんだろうか? 気になる。
まぁ、最近の馬鹿な風潮を考えるとそのうちキオスクではタバコがおけないようになるから、商品はどんどん変わっていくんだろうけど…







  1. 2006/01/08(日) 00:01:00|
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