地下鉄道にのって - エムマッティーナ雑録

劇評家カトリヒデトシのブログです

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ゲゲゲの鬼太郎 観てきた

我が北海道では、テレビ・スポットからして違う。
ウエンツも田中麗奈もでてこない。ひたすらネズミ男である。
なにも北海道の地域的特性でネズミが好まれているわけではない。念のため。
ネズミ男が、「大泉洋」だからである。
北海道が生んだ最大のスター、大泉洋からである。
その配役を聞いたときに、私は、貧相で下品、いいかげんでなおかつ卑怯ものというネズミ男に、大泉はなんてぴったりなんだろうと感動すら覚えた。
ウエンツの鬼太郎にはこなかったが、田中の猫娘、間寛平の子泣きジジイ、 室井滋の砂かけババア、YOUのろくろ首と、みな素晴らしく、ほかの役者では考えられないというほどハマっていた。
日本ではまだまだマイナーなキャスティング・ディレクターがそだっているのかと、喜びかけたが、全員既成の役者ばかりなので、そんなに騒いではいけないか。あれがすべてオーディションというわけでもなく。
他にも、西田敏行やら小雪やら獅童やら、みな面白い、かつなかなかはまった役どころで登場してた。

しょせん悪ふざけなんだが、お金いただいてやる悪ふざけこそ真剣にやらねば、みせられるほうは怒り出してしまう。
そういった意味で一応の主役であるふたり、ウエンツと井上真央が楽しそうに演じてないのが不満だった。
お気楽な映画なんだから、深刻にやってもしょうがないよ。
たんに余裕がないだけなんだろうが

最後にもう一度
大泉洋 サイコー!!




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  1. 2007/04/28(土) 00:01:00|
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大帝の剣 観た

いやいや、想像を越える、というよりも、想像なんかをはるかに凌駕する出来。


大駄作である(笑)。

大炎上である。


すごいなぁ。

ストーリーは大雑把かつ、ご都合主義しかも、破綻してる。

キャラは単純だし、葛藤も少ない。

と並べると、観るとこないか、と思われるだろうが、

そんなこともない。そこはさすが堤幸彦

こまかいところの仕掛け、仕込みがなかなか油断ならない。宇宙人(でてくんのよ。時代劇なのに。激笑)がとりつくシーンは「仕事人」だろうなぁ。とか。

予想どおりに生き返るシーンも、お約束の「涙」なのに、全部見せないとか。

「見せ球」なのか「つり球」なのか、わからんつくりにしている。

 

オイオイと突っ込みどころ満載なのが、観てて実にたのしかったっす。

天野喜孝にキャラデザインを頼んだのはいいが、一度も素顔が現れない竹内力とか、最後まで誰だかわからない虫男とか、かわいそうな役者続出!!

観た人は、みんな怒るんだろうなぁ。

まじめに観にいった人は。

 

私は悪ふざけのなかにも妙に品がいいところがあって、けっこう好きだったのだが。




  1. 2007/04/28(土) 00:00:00|
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「新感染」を誉める

劇団☆新感線も小劇団としては、長い。
20年以上、活躍している。

「若手」といわれてたころは、身の丈にあわない、ド派手、ドでかいスケールのエンタテインメント志向がちょっとちょっと(古い)であったのだが(その志向に舞台も、役者も、脚本もたえられるレベルでなかった)、このところの快進撃は、昔を知るものには吃驚仰天である。

サンシャインにでるようになり、1か月近い公演をうつようになったとき、「いのうえ歌舞伎」と銘打ったのには大笑いしたものだ。
もう本格派の花組芝居は隆盛をきわめてたし、それに対抗して、「エンタテインメント系荒事」というラインで勝負かと、冷笑していた記憶がある。

古田がちょっと年とっちゃって、いままでの覇気にかげりがみえたころ(こういうと古田本人はおこるだろうなぁ)、主役に客演が増えていったなか、「市川染五郎」を手にいれたのは見事だった。

これで完全にメジャー移籍できた。

「ドクロ城の7人」は主役を古田がやったときの下品さにくらべ(いやいや実にそれがよかったんだが。そういう古田にあてがきたホンだったわけだし)、ところがところが、それを染さんがやると、同じセリフなのに、けして「上品さ」が失われない。


じつに華やかな主人公になってしまった。

さすが花形である。

また、これが本業の歌舞伎であたりがでず、伸び悩んでいた染さん本人にも、実に幸福な出会いであったわけで。
かれはこのあとの「新感染」で、まっとうな「色悪」に成長し、魅力爆発しましたがな。

現代のドラマは、ストーリーはジェットコースターでも、キャラクターは単純になりがちで、まっとうな「悪役」は育たない。
色男なのに、その男も女もひきつける魅力を自分の黒い野望のためにだけ利用し、まわりをすべて自分のために踏みつけにしていくという、胸のすくピカレスクな「色悪」はなかなか、本邦では育たなかった。
(旧世代にわかりやすくいうと、市川雷蔵の「眠狂四郎」ね)
今、染さんはその役周りを完成させようとしてる。
育ちゆえの「品」と、残酷な神が支配する、しびれるような「酷薄さ」と、今の彼はあわせもっている。

くそっ!!
しびれるぜ!!

正月公演の「朧の森に住む鬼」では、まさに日本版「マクベス」というおもむきで実に正しい「悲劇」がそこにはあった。

演劇においてもっとも必要なのは「悲劇」であることは、いまさら名前をだすのも恥ずかしいがニーチェ以来の伝統である。
「いのうえ歌舞伎」もそこまで成熟したのだ。

歌舞伎本体が、さまざまな理由で(主に興行的な配慮から)「スペクタクル」な、しかけのでかい舞台をやれなくなっている現在。
新感線は実に貴重な舞台を提供してくれている。

めずらしく、諸手をあげての絶賛である。

だいじょうぶか??







  1. 2007/04/21(土) 00:00:00|
  2. 演劇
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